INDEX MAP DOX





 夏休みが終わって、校長の長い話が終わって、始業式が終わった。
 で、
 突然だがみんなに転校先を紹介する、と担任の護橋ごばしが言いだした。それこそ突然に。
 それを聴いた生徒たちは一瞬、もちろんぼくも含めて、『あれ? 転校先? 転校生じゃなくて?』とプチゲシュタルト崩壊にみまわれた。
 それからあらためて、ついに脳のヒューズがふっとびやがったか護橋、と思った。
 だがじっさいにはヒューズが飛んだのはこの学校で、それはこの世の中のヒューズがふっとびかけている兆しにちがいないのだった。
 現実を現実として受け容れる時間すら与えられないまま、ぼくらは母校を放逐され、つぎの瞬間校舎が特大のクレーンにぶらさがった鉄球の藻屑と消えていくのを呆然と眺めていた。
 んー。
 それなりに慣れてきたとこだったのに。

 急な話にもほどがあるが、なにしろきょう突然決定されたことで、教師たちも出勤直後に知らされたそうだ。親にもいまごろ連絡が行っているらしい。
 校長は、始業式で話すとショックが大きいからHRで言わせようと判断したらしい。あきらかに逆効果だと思う。言いだしにくかっただけなんじゃないだろうか。
 かんたんに説明しよう。
 子どもが減るということは生徒が減るということであって、すなわち育てる対象が減少することになる。そいつらを受けとめる学校という場は少ないパイを切り分け合うことになり、薄く切りすぎればケーキはぱたりと倒れる。つまり、教育という戦線全体は縮小を余儀なくされる、もっといえば、縮小することを許される。撤収につぐ撤収。おかげで『決定してからの手際』だけは見てて笑えるほどよくなった。
 ぼくが今年から通っていたその学校も、そういうような事情で地上から消滅した。
「要はおはらい箱ってことなんだな、おれたちが」
 腕組みしながら護橋はぼくらを眺めやると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。まるでぼくたちが多くないのが悪いかのように。
 まちがっちゃいけない護橋さん、とぼくは言わず、ただ思うしかない。
 学校があったところにはなにが建つ?
 なにが建つにしても、それは学校よりすこしはマシなものになるだろう。ぼくたち以外のだれかが決める基準で、マシな。有限の土地資源を有効活用するという目的に沿ったものになる。
 ぼくらを育てたところで、ぱっと利益が降ってくるわけじゃないからだ。
 おっぱらわれてんのはあんたらじゃない。
 ぼくたちだ。

「さて……どーすんのかな……」

 いやもう、二重の意味でどうすんだ。
 ひとつは新しい環境にまた慣れ直さなければならないということ。そしてもうひとつ。
 手にした紙切れ1枚で、学力と立地から判定された新しい学校へと向かっていたぼくなのだが、
「どこ、ここ?」
 どうも迷ってしまったらしい。地図のとおりに、旧母校から山沿いの道を進んできたはずだが、いまや道がない。
 ……見渡すかぎり、木しかねえ。
 みっしりと生えている緑と紅と焦茶と、わずかな空の青。
 とにかくすこしでも明るそうな場所に出るんだ、と見当をつけて歩きだした。つもりだったのだが、密生した木々の中心へとぼくは誘いこまれるようにやってきている。
 森がつくりだす闇が煮こごりになったらこうだろうというような、そこは深い暗がりだった。粘性を帯びた、ぬるい闇。なにかとても『おまえはこの場にいてはいけない』と言われてるように感じる。せきたてられる。
 学校を探すという目的を忘れても、この空間を脱出したくなる。
 だが、そのつもりでやみくもに行動すればさらに迷うのが人間の性。
「くそ……ここどこだよ……!」
 そのとき、風が一陣、吹きぬける。こんな入り組んだ天然の迷路にも風は吹くんだな、とぼくは思い、そして、
 風がざわりと梢を揺らし、太陽がつかのま闇を切り裂いて
 その風に揺れた金糸の髪を照らす。

 あ。

 銀杏の葉ではありえない、あまりにまぶしい金色だった。山の神さまなのか、と思った瞬間、その黄金のたてがみのような髪の持ち主が、こちらを一瞥する。
 好奇心からか、その瞳が群青にくりっと輝いて、
 ぼくは『待って』と言おうとした。
 しかしそいつはひらりと身を翻すと、森の奥へと飛び去る。そう、飛ぶように去っていく。
「ちょ、ちょっと!!」
 ぼくには正直、そのとき『あれを追えば助かる』とか『ひとりは心細い』とかいう気持ちはなかった。
 ただきれいだと思って、追いかけただけだ。
 無我夢中だった。
 つまり、冷静な判断力を欠いていた。
 ところで、この森には木が密生しているというのは説明したとおりなんだが、その生えかたは決して一定ではなく、地面にちゃんと垂直に立っているのかよくわからない。ということは、じぶんが立っているところが斜面なのかどうなのかも謎ということで、
 ぼくは滑落した。

「わあーっっ!!??」

たいぎー……ねえ、たいぎー……
 うるさいな。
たいぎーってば……
 せっかく気持ちよく寝てるんだから。その名前で呼ばないでくれって、
たいぎー。たいぎー。
 うるさい!
『大義名分』が由来ってだけでもなんとなくイヤなのに、うっかり大儀めんどくさいなんて字にしやがって!
「辞書くらい引いてから名づけろおーっ!!!!」
 叫んで、ぼくは跳ね起きた。
 ごじゃっ。
 いやな音がして、ぼくはふたたびやわらかな枕の上に後頭部をゆだねる。頭の上にいる女があごを押さえている姿も見る。
「あ……あれっ?
「あれ、じゃないよたいぎー、いたたた……!」
 たしか、ぼくが追ってたのは、
「あの金色のやつは……」
「金色? ドラゴンでも見たの?」
 ドラゴン……?
 ぼくは、こんどはゆっくり身を起こす。あごをさすっている女。ちょっと赤茶けた、セミロングの髪。ぼくの名前を知っているこの女を、ぼくもまた知っていることに気づく。
 華南はなみなみおんがく。
 成績優秀すぎて、中学進学でなんかよくわからない山むこうのすげえ中高一貫校に進学した、同い年の従姉妹。
 たしかその学校名が、
「……ってあれ」
 手許に握りつぶしていた紙をながめる。
 学校名を見る。
 たしかその学校名が、
「遅いから森に迷ってるんじゃないかって話になって、顔知ってるならむかえに行けって言われてここまで来たんだけどね。二重遭難して、やっと戻れたんだよ」
 へへ、とおんがくはじぶんの頭をこづいた。かわいいつもりかてめえ、

 ちょっと待って。

「戻れた、って言った?」
「うん。そしたらたいぎーが寝てるんだもん、びっくりし──」
「じゃなくて、ここが、学校、なの?」
「うん。どこでしょお?」
 ぼくはゆっくり周囲を眺める。どっちを向いても森なのは変わらない。だが、その木々のなかに、錯視パズルのようにして隠された、大きな構造物がある。
 え。ちょっと待って。
 あれが、校舎? ほんとうに?
 ものすごい違和感だ。一瞬目をそらすと存在していないようにしか感じられないのに、焦点をそこに合わせると、たしかにある。
 建造物が、存在している。
「なんて……校舎……」
「ちがうよ? たいぎー」
 うしろからぼくの両肩に手を載せて、おんがくがたいしたことでもないように、言った。
「あれは裏門だよ。学校は、あのなーかー」

 そのひとことが、まるでオープン・セサミの呪文だったかのように。
 ず。
 ごごごごごご。

 ゆっくりと重々しく開かれていく、その門扉に圧倒されながら、ぼくのなかの冷静なぼくが、素朴すぎる疑問をもらした。
 ぼくはいったい──どういうところに編入されてしまったんだ?

 ああ、ちがうよ、さすがに、と先を歩くおんがくは笑った。
「あれは去年、ソツセイサイでつくったひとたちがいるの。アーチはアートだ! とか言って」
 なるほど卒制か。サイってなんだ? とぼくは巨大な門のてっぺんを見て思った。
 なんだか知らんが、アーチはアートか。しょうもない。
「で、ちがうってなにが」
「え? べつに外敵から隠すための秘密のゲートじゃないってこと」
 いやそんなことは疑ってないが。
「でも裏門から入ろうとして迷っちゃったでしょ? たいぎーがなかなか来ないって聞いて、ひょっとしたらって思ったらほんとにそうなんだもん。むかしもそうだったよね。ショートカットできそうだと思ったら試さなきゃいられないんだよ」
 おかしそうに、おんがくは肩越しにこちらを見やる。

「大儀はいつも、まっしぐらに道に迷ってた」

 こんどは全身でふりかえって、もういちど念押しする。
「まっすぐ最短距離で迷ってた」
「……かもな」
 門のなかは意外に長く、なのになんの照明もなかった。すぐ先に白い光があるとはいえ、すこしだけ気になった。そもそもただの門が、なんでちょっとしたトンネルみたいな構造なんだ。
「ほんとにこの大がかりなのが卒制?」
「だよー。この学校、なにするにも大がかりだから」
 そういう問題とちがう気がするが。
 なにかが聴こえてくる。妙にさわがしいような響きが、すこしずつ近づいてくる。
 前方は白い光に満たされている。そこはかとなく不安になる。
 そして、やっと光の下に出た瞬間、そこはちゃんとまばゆい太陽の下だった。なぜかぼくは、じぶんが新しく誕生したかのような錯覚に襲われた。
「……」
 さて。どう考えたらいいのだろう?
 視界の奥に校舎らしき建築物がある。それはいい。校舎までの空間がいやに広い。こちらは正面玄関ではないというのに。左手側へ伸びていくのは校庭への通路だろうが、校舎への並木道もかなり広い。
 そして、なによりも

 それらすべての空間で開かれていたのは、祭りだった。

 花火がひっきりなしに打ち上げられ、色とりどりの風船が空を泳いでいた。楽団の演奏と、それにいやます喧騒が耳に飛びこんでくる。露店がすべての道をふちどっている。
 ぼくはあっけにとられていたのだと思う。おんがくはそんなぼくのリアクションをじゅうぶんおもしろがると、やっと告げた。
「ようこそ、わが校自慢の始業祭へ」
 ぼくはとにかく周囲を見渡すしかできなかった。
 卒業間近に見えるおちついた、年かさの人間も、つい先日までランドセルを背負っていたようなあぶなっかしいガキも、教師らしき中年たちも、あらゆる人間が祭りの風景をあるいは眺め、あるいは参加し、愉しんでいた。すべての人間がその世界を構成していた。
 追いはらわれるような要素は、まるでひとつもないみたいだった。
 では、ぼくは?
 ぼくはまさに、招かれざる客ではないのか?
「……」
 夏休み明け1日めに、こんなに浮かれられるものなのか?
「まあ、まだ昼だし、あとでゆっくり見てまわれるから。とりあえず校長室行こ
 おんがくが、マイペースに言ってくる
「いやべつに──」
「ほら、案内はあとでするから!」
 手を引かれたぼくは、すれちがいざまに職員らしい男が手渡したものを見る。

 私立大祭禮だいさいらい学苑 始業祭案内

「……名前まんまかよ!!」
 ぼくは叫ぶ。
 その叫びは、手をつなぐおんがくの耳にすら届くことなくかき消され、

 ふと思いだす。
 めんどくさいという意味の、ぼくの名のことを。
 大規模なお祭りという意味を本来持っているはずの、大儀という名のことを。
 ……まさかそれだけでここに編入が決まったんじゃないだろうな。
 だとすれば、だとしても、ぼくは、ぼくを襲ったこの大儀めんどうごとをどうするべきなのか。
 決まっている。
 ぼくのやりかたで、戦うまでだ。

 こうして、長い長い『だいさいらい』が、はじまった。

 

グランフェスターズ、再来編。

 PROLOGUE “AUTUMN” CLOSED.